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余震が続くなかで考えたこと

 今日、会社の事務所でゲーム会社の方と打ち合わせをしていると、突然の揺れ。中越地方を襲った地震の余震だった。新潟の被災地域では、この余震によってさらに多くの負傷者が発生した様子。いつになったら大地は落ち着いてくれるのだろうか。祈るような気持ちでニュースを見ている。

 数日前、地震直後のNHKの報道について批判めいたことを書いたが、やはりマスメディアの果たすべき役割は、「確かな情報を、より早く、より多くの人に」伝えることに他ならないと感じる。どんなに価値があると思われる情報だとしても、裏付けがとれないうちは報道してはならないのではないか。阪神淡路大震災の際も、テレビやラジオが充分にない場所で、正確な情報と憶測、デマを区別することは本当に難しかったと聞く。それだからこそ、マスメディアには正確な情報のみを伝えて欲しいのだ。

 いわゆる一次情報が必要とされる災害と、そうでない災害があると、私は思う。前者は、先日の台風による水害など。事態が刻々と動いていき、事態の推移に合わせて避難などの行動を決める必要のある「いま起こっている災害」だ。いっぽう、地震は「すでに起こってしまった災害」なのだ。この場合、一次情報の必要性は低い。それよりも、現場では錯綜しがちな一次情報をいったん後方に集めて整理し、そのうえで裏付けの取れた情報だけを伝える。いま現在、新潟地方で求められているのは、そのような情報だと思う。

 さらには、被災者のなかに当然含まれるであろう外国人に向けて、避難所の情報などを翻訳して流すなど、やるべきことは多いのではないかと思う。どこのテレビ局でも避難所にテレビカメラを持ち込み、避難されている方を捕まえてはインタビューを行っているが、ただでさえ心身の疲労が蓄積している方が多くいる避難所に、そのような行為をすることはどうなのだろう。
 阪神淡路大震災の際、同様の取材行為に対して避難された方が不快感を表し、以後、報道陣も配慮するようになったのだが、それらの経験がまるで忘れ去られているのはどうしたものか。
 私が阪神淡路大震災の復旧工事で現地に入った際、さまざまな方から聞いたのは、マスコミに対する反感だった。こういうところは繰り返さないで欲しいと思う。なにせ非常時なんだから。

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コメント

ほとんど内輪ネタになってしまうが、地震についてネットでの報道について阪神淡路大震災の時と比べてみるとネットワーク普及の差が大きく利いていると判断しています。

言うまでもなく、阪神淡路大震災の時にはインターネットは普及し始めで、NIFTY-Serveが大活躍でした。
神戸はFAフォーラムにとっては一大製造拠点ですから工場の被害などを書こうか、専用会議室を作ろうかと思いましたが最終的に止めました。
当時、専用会議室を用意しなかった少数派のフォーラムだと思います。

はたして、2ちゃんねるで工場を対象にした「何々工場崩壊」「何々工場、炉が崩壊で再建に2年」などといって明らかにいたずらというか、ガセネタが出ました。
各企業はその後のウワサの打ち消しに苦労していました。

今回の地震でも同じ事を考えましたが、今回はインターネットの普及で情報のアップのチャンネルが複数になったので、マスコミ報道よりもインターネット情報の方がより信用出来るようになっただろう、と判断しています。

現実は、マスコミ報道の取材力は明らかに落ちていて、インターネット上で発表される情報の方が先読みである場合が数多くあります。その分、テレビのニュースがワイドショー化というか週刊誌化というのか「下世話な方向」になっているのは明らかで、フットワークが軽い、新聞社のサイト、もっと軽い通信社のサイトに置いて行かれている、と感じています。

まぁ、阪神淡路大震災からもうじき10年ですか、大転換であったわけでしょう。

投稿: 酔うぞ | 2004年10月28日 08時49分

酔うぞさん、ども。
まったく仰るとおりだと思います。マスコミの取材力低下は目を覆うばかりです。逆に、複数の一次情報が蓄積され、それに対して複数の分析が行われるネットのほうが信用できるというのは面白いと思います。もちろん、一次情報は玉石混淆、真偽さまざまなわけですが、それが大量に集まることで、情報の取捨選択は可能になります。
もっとも、このスキームを活用できるのは、日ごろからネット社会に身を置き、情報の真偽の見極めを訓練している人に限られるでしょうけど。

あと、忘れてはならない大きな問題として、電気や通信回線などの基礎インフラを失っている人たちが、実は一番情報を欲している側だということなのです。それを解決する力を持っているのが従来のマスコミだと思うのですが、彼らは自らの意義が転換していることに、まだ気付いていないように思えます。

阪神淡路大震災で、もっとも喜ばれた情報手段の一つは、コピー機を用いた手書き新聞だったと聞きました。炊き出しや安否の情報が、被災者の手に残るかたちで配られるというのは、本当に役に立ったということです。
SF大会で時刊新聞などの恩恵に預かっている私たちには、たいへん頷ける話でした。

投稿: 安達裕章 | 2004年10月28日 10時36分

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私にしては珍しく、出来るだけ短い表現でと考えた。  今の災害報道は、被災者の欲す [続きを読む]

受信: 2004年10月30日 00時37分

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