さらば、講談社現代新書
最近、ノベルズや新書の装丁を新しくすることが流行のようだ。(東京の一部の地域においてのみ流行っているのかも知れないが)
よく、雑誌では売上が落ちてくると表紙のデザインや版型を変えてイメージチェンジを図ることがある。そのほとんどが、旧来の読者にも見放され、当然、新規の読者などを獲得することなど出来るわけもなく、休刊(笑)することになるのだけれど。
ただ、本の場合は雑誌よりも長い時間、本棚に置く性質のものだ。作者はもちろん、編集者だってそう思って本作りをしていると思う。もちろん、読者だってそのつもりで本を買っていると思う。
そんななかで、シリーズの途中で新しい装丁を試みるというのは、なかなか度胸のいることなのは間違いない。
ただ、新しいデザインを考えるにしても、奇をてらうだけのようなデザインにしてしまうのは如何なものか、と思う。もう具体名を出してしまうが、講談社現代新書の新デザインに関しては、呆れるを通り越して怒りすら覚えてしまう。
デザイナーの弁によれば、「読者の本棚を想像してみても、新書というのは出版社に関係なく、たいてい集まって並んでいると思います。その中にポン、ポンと色が入っていたら、きっときれいで楽しいし、もしかしたら、色のストライプで集めたくなるかもしれない。」ということだが、この人は、読書家の気持ちというモノがまったく理解できていないと思う。
もちろん、このデザインにOKを出した講談社の担当者も、自分たちの読者がまったく理解できていないのだろう。
もちろん、いままでの杉浦康平氏のデザインがすべてにおいて正しいか、というと、そういうことではないだろう。ただ、こんな本読みの気持ちすら理解できない人に、本のデザインをして欲しくはない。
さらには「現代新書でも千冊に一冊、カバーをむくと裏が意味もなく真っ赤に刷られているとか、そんなイタズラもしてみたいですね。 」などと平気で書いてしまう人だったら、なおさら。
少なくとも、私に限って言えば、この装丁である限りは講談社現代新書を二度と買おうとは思わない。ここまで本読みの気持ちをバカにした編集部には、もう付き合いたくないと思うから。
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