アメリカ取材旅行4日目
午前7時30分に集合。昨日と同じような食事を済ませる。
毎朝、こんなにカロリーの高い食事をしていて、このあと大丈夫なんだろうか。ちょっと心配になる。
午前9時にガイドさんが迎えに来てくれた。
ワシントンD.C.からボルチモアまでは、1時間弱のドライブ。アメリカに来ると毎回思うことなのだが、道路が余裕をもって作られているのがよく判る。首都高速の連続高速コーナーに慣れている身としては、非常にうらやましい。
で、さっそくポーの墓に到着。芦辺さんは、ポーの墓前になにを誓ったのだろうか。
ポーの家にも寄ってもらった。ここはあまり治安が良くない地区にあるので、車の外に出るのもおっかない感じ。ボルチモアの中心街から、ほんのわずか走っただけなのに、こうも変わるものなのだねえ。
ひととおり墓参りを済ませたら、あとはお楽しみ。いや、墓参りだってお楽しみのひとつなんだけどさ(笑)。
まずは潜水艦トースク号を見学。
ここが後部魚雷発射管。横に、日章旗を掲げた「撃沈マーク」があったのが、ちょっと気に入らない。
潜水艦に限らず、軍艦のハッチというのは狭いものと相場が決まっているのだけど、これはちょっと狭すぎる。芦辺さんでこんな具合なのだから、身体の大きなアメリカの水兵さんだったら大変だったろうな。
で、狭い寝床。これでは寝た気がしないだろう。やっぱり慣れてしまうんだろうか。
ここは水兵さんたちの食堂。もちろん、ここでこうやって待っていても、パンのかけらすら出てくるハズもない。
そんな欠食児童を尻目に、取材に励む芦辺さん。この取材の成果が生きるのは、いつの日だろうか。なるべく早いほうがいいなあ(笑)。
ここは士官の食堂兼居室。水兵さんたちのそれにくらべ、若干の余裕があるといえど、やっぱり狭い。
ようやく外に出ることが出来た。今日は昨日とはうってかわって寒い一日。窓口のおばちゃんに「寒いねえ」と言ったら「ホント、冬に戻ったみたいよ」って言っていた。そのときは、「オイラもそう思うよ」などと言って通り過ぎたんだけど、考えてみれば、2月はじめってのは冬の最中じゃないのかな?
潜水艦と比べると、すべてがゆったりしている。蛇輪ひとつ取ってもこの大きさ。
最後は、沿岸警備隊の監視船、タイニー号。
この船は、日本軍による真珠湾奇襲攻撃の際に真珠湾に在泊しており、奇襲後、わずか数分で臨戦態勢を整えたと伝えられている。
これが主兵装の5インチ砲。艦載砲としては小口径の部類にはいる5インチ砲なんだけど、近くで見てみるとけっこう大きい。
見学を終えて、昼食。
ボルチモアは海産物が美味しいというので、まずはクラムチャウダーを注文。うまい。
次に、名物のクラブ・ケーキとエビのフライを頼む。前にボルチモアに来たときも、このクラブ・ケーキを食べて、その美味しさに驚いたのだけど、今回も美味しかった。まるで蟹の風味がぎゅっと濃縮されている感じ。
まだまだ時間はたっぷりあったのだけど、あまりの寒さに引き揚げを決定。
本当は、途中でNSAの横にある「国立暗号博物館」を見学するつもりで前まで行ってはみたのだけど、あいにく日曜・祝日はお休みだとのこと。芦辺さんが残念がることしきり。
明日は早朝にワシントンD.Cを出発してしまうので、買い物でもしよう。ということになり、ペンタゴン・シティのモールまで足を延ばした。ガイドさんとはここでお別れ。モールの中をそぞろ歩きしていたのだが、けっこういろんな店が入っていて面白かった。
ホテルに帰着後、一息いれて午後6時にロビー集合、としていたのだが、なぜか時間になってもomataくんが現れない。先に来ていた芦辺さんと、次回作の小説の内容について話し合っているうちに、1時間が過ぎてしまう。
ここでようやくomataくんと合流。なんでも、時間を1時間、間違えていたようす。
もう外に出るのも面倒になってしまい、ホテルのレストランで夕食。ウェイターが、しきりにビュフェを勧めるので、乗ってみた。まさかサーブするのが面倒、というワケじゃあるまいな(笑)。
こんな感じに盛りつけて、わしわしと食う。
さて、明日は午前4時半に集合。
ちゃんと起きられるかなあ。
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