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血液型?なんだっていいじゃない。

 先日、田中さんと雑談をしていたとき、血液型の話になった。
 よく、「血液型が×型の人は、○○という性格」なんて書いてある記事を雑誌などで見るけど、これ、「血液型が×型の」という部分を「出身地が××の」または「人種が××の」と変えてみたら、その出版社には抗議が殺到するんじゃないか、と思う。出身地にしろ、血液型にしろ、人種にしろ、自分ではどうにもならないコトだし、それによって性格がうんぬん、という話だって確たる根拠がないわけ。それなのに、「血液型」がからむだけで許されてしまうというのは、なんか変だと思うんだな。

 で、ちょっと調べてみた。
 欧米の人には、B型が少ないのね。
 日本では22パーセントいるB型が、ドイツでは13パーセント、フランスでは9パーセントしかない。逆にハンガリーでは36パーセントがB型だということ。俗説で「フランス人にはB型が多い」と聞くけれど、これは間違っているようだ。

 ま、血液型で性格が左右されるなんてことは、みんなどこかで疑っているんだと思うよ。血液型による性格判定なんてものが許されるのも、どこか他愛のない遊びのひとつとして受け取られているからなんだろう。
 それくらいだった私も別に罪がないとは思うけど、だからと言って、血液型、血液型と言っている人を見ると、ちょっとどうかなあ、と思ってしまうのも事実なのだな。

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軽くお花見

 昨日は日記をさぼってしまった。午後からひどい目眩に襲われて、お医者さんに行ったりしたのだ。
 どうも季節の変わり目には、こういうコトがある。お医者さんから貰った薬が効いたので、今日はずいぶんと良くなった。昨日はまっすぐ歩けないくらいだったからね。

 で、今日は天気も良かったので、お昼ご飯を食べに出たついでに、近所の桜の名所を回ってきた。

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 新井薬師の入り口は、もうこんな感じ。満開にはもうちょっとだったけど、じゅうぶんにキレイ。

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 参道を抜けると、桜並木。夜に来てみたら、また印象が違うんだろうな。もっとも、足の踏み場もないと思うけど(笑)。

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 中野通りは、道の両側が桜並木。歩道橋の上から撮ってみると、こんな感じ。

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 花が咲いてから、まだ雨が降っていないせいか、ピンク色がとても鮮やか。なんとも幸せな気分になった。あんまりホンワカしすぎて、午後からの仕事がはかどらなかったのは内緒だ(笑)。

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 おまけ。
 お昼ゴハンを食べに入ったパスタ屋さんの黒板。なんだ?「秘伝豆」って。
 あとでネット仲間から「どうやら、プレミアムな大豆のことらしいぞ」と教えてもらった。それにしても、これは名前を付けた人がエライなあ。ついつい食べてみたくなるネーミングだもんなあ。

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ご近所に春を探してみた

 今日は夕方から宴会のハズが、参加者の身内に不幸があってキャンセルとなってしまった。
 女房は息子を連れて、実家に遊びに行っている。
 さて、ぽっかり空いてしまった時間、どうしたものかな、などと贅沢な悩みを抱えつつ、とりあえずは昼飯でも食べるか、と自宅近所のガーデンプレイスまで歩く。時間があいたなら、溜まっている仕事を片づければいいのだけど、そこはそれ、私にだって休日は必要な訳でして(笑)。


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 ガーデンプレイスは、春らしいディスプレイで飾られていた。これは、入り口のところに置かれていたチューリップの寄せ植え。

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 メインの坂道は、両側に菜の花を植えたプランターが並んでいる。

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 で、広場には、こんな大がかりな花壇。

 菜の花に埋もれて、なにやら存在感のある緑色の塊があったので、寄ってみると……

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 キャベツでした(笑)。

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 昼食は、ちょっと贅沢してタイ料理。旨かったけど、量が多いよ!ここでも「何も言わなくても大盛りが出てくる法則」なのか!?

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 食事を済ませて、そのままガーデンプレイスの裏手まで足を延ばしたら、こんなキレイな寄せ植えが。

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 ウェスティンホテルの横の八重桜も、もう満開という感じ。

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 ほら、ね。

 食事をした時間も含め、ほんの1、2時間の散歩だったけど、けっこうリフレッシュできるもんだ。
 明日からも頑張ろうっと。

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日本語は難しい?

 ここ数日、日本語について考えている。
 いや、国語としての日本語とか、たいそうなことを考えているのではない。要するに、コミュニケーションの道具としての日本語だ。
 最近、会話のなかで曖昧な表現が増えてきた、という話を聞く。たとえば、「わたし的には…」や「…だったりして」など。果ては「ビミョー」などという表現もあるようだ。これは、断言することで相手を傷つけたくないという意志の現れなんだそうで、それ自体はとりたてて目くじらを立てる必要もない気がする。もちろん、そういう変な表現を使わずとも、相手を傷つけることなく自分の意志を伝えられる人はたくさんいるわけで、そちらのほうが日本語の使い手としての能力は高いと言って良いのではないかと思うけど。

 話はとぶが、人には「口ぐせ」というのがある。
 さきほどの「わたし的には…」などというのも、人によってはもはや口ぐせなのではないか、と思うほど多用する人がいる。こういう人は、自分の考えを相手にストレートに届かせるということが、もはやその人にとっては「怖いこと」になっているのではないかなどと考えてしまう。とはいえ、そんな口ぐせを持つ人が、意外と人の気持ちを無視した行動を取ることもあるようなので、これは本当にただの「口ぐせ」なんだろう。
 一般社会のなかでは、そういう潤滑剤としての口ぐせも悪いものではないし、多少、その表現が相手にとって失礼にあたるものであっても、許されるのかも知れない。

 でも、これが編集者だったら、どうだろう。
 なにもわたしは、編集者は完璧な日本語を操るべきだ、という話をしているのではない。編集者は、たとえ口ぐせであろうと、きちんとした表現を心がけて欲しいと思っているだけだ。こんなことを考えるようになったのは、(具体例は避けるけど)そういう「とても失礼な表現を平気で使う無神経な編集者さん」というのを、久しぶりに見てしまったから。念のために書いておくと、「わたし的…」や「ビミョー…」などではないよ。普通に解釈したら、「喧嘩を売ってるのか?コイツ」と思わせるような表現。うん。
 もっとも、本人には、さほど悪気があるのではないと思うし、最初に述べたように、いわゆる「潤滑剤」としての表現だったのかも知れない。
 しかし、自分が言った言葉を解釈するのは、あくまでも相手であるという大原則を忘れていては、編集者はもちろん、一般社会でも通用しないだろう。

 もちろん、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉もあるので、ここはわたしも大きなことは言えないのだけどね。
 ほんと、日本語は難しい。でも、これでゴハンを食べている業界なんだから、もうちょっと大事に使おうよ。ね。

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なんとか復旧

 先日の日記で書いた、会社のアドレスでメールが送信できない、というトラブル。
 今日、プロバイダの担当者と、電話で会話をしつつ設定を確認し、ついに原因を究明、解決することが出来た。
 いやはや、メールソフトのバージョンが、ほんの少し(2.0.0と2.0.4)違うだけで、こんな問題が起こるとは思わなかった。相手をしてくれた担当者も「いやぁ、参りましたぁ」と言っていた。

 いろいろと苦労したけど、なんとか復旧。
 これからは、いつも通り会社のアドレスでもメールを送ることが出来ますんで。

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肩こりに悩む

 何を隠そう、(いや、隠す必要もないのだけど)、私は強度の肩こり症。
 普段から肩の中には、まるで何かのフィギュアのように固い「芯材」が通っている感じ。ちょっと細かい作業を続けていると、この固い芯が肩全体に波及して、まさにコチコチになってくるのだ。
 ここ数日、横山信義氏の新作につけるメカ図版を描いていたからか、久しぶりにひどい肩こり状態になっている。
 今日は、あんまり肩こりがひどくて、胸のあたりまで痛くなる感じ。

 スポーツクラブのインストラクターさんから習った、肩胛骨のストレッチ運動を続けているのだけど、それをやるのすら痛いのだから始末に負えない。ま、この手の仕事をしている知人を見渡してみれば、肩こりや腰痛、腱鞘炎などは職業病のようなものらしい。
 なにか、肩こりの解消法でよい方法をご存じの方がいらっしゃったら、是非ともお教え願いたい次第。

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『警視庁幽霊係』の全プレ

 天野頌子さん『警視庁幽霊係』(祥伝社/ノン・ノベル)の全員プレゼント。
 今日、ようやく印刷所から本が出来上がってきました。
 旧知の印刷所にお願いしたので、表紙なんて「なんか春らしい色で、ひとつよろしく」とだけ指示したのですが、なんともいい感じの桜色に出来上がってきました。いやはや、ありがたいかぎり。

 明日から、順次発送作業を開始するので、今週中、おそくとも来週頭にはお手元に届くことと思われます。
 お読みいただいた方、ぜひとも感想などお聞かせください。
 どうぞよろしく。

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やったぞ、世界一。

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦。
 今日は、自宅で仕事をしていたのだけど、ついついテレビのほうに視線がいってしまった(笑)。
 途中からは、もう仕事を進めるのは諦めて、応援に専念。途中、1点差まで詰め寄られたときにはハラハラしたけれど、なんとか大塚が抑えてくれて、9回表の大量得点につなげてくれた。

 今回のWBCについては、いろいろと問題点が指摘されているけど、その問題点を修正したうえで、ぜひ今後も続けて欲しいなあ、と思う。
 いやはや、本当に面白かった。

 野球というものは、どんなに強打者であろうと60パーセントは失敗する、いわば「うまくいかなくて当然」のスポーツだ。だからこそ、そこに執念を燃やす選手たちが格好良く見えるんだろうね。
 久しぶりにテレビの前で、手に汗握って応援してしまった。
 選手の皆さん、本当におめでとう。そして、ありがとう。

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メールソフト不調

 先日、メインで使用しているMacintoshが起動しなくなった。
 いろいろと手を尽くしてはみたのだけど、どうしてもダメだったので、Appleにピックアップ修理をお願いした。
 おそらく1~2週間は掛かるだろうと覚悟していたのだけれど、なんと中1日で修理が終わって帰ってきた。それは良いのだけど、HDDを交換したということで、中身はすべて空っぽになって帰ってきたのだった。もっとも、データはすべて別のHDDに保存していたので、アプリケーションさえ入れ直せば、元の状態に戻るわけなんだけど。

 ただ、どうせ空っぽになってしまったんだから、OSのアップデートをしてしまおう……などと、妙な気を起こしたのがマズかった。
 いままで使っていたMacOS-X10.3から、10.4に更新したのだけど、なぜかMailソフトの調子がおかしくなったのだ。会社のアドレスが、受信は出来るのに送信が出来ない。うーん。

 プロバイダにも問い合わせをしてみたところ、検証してみるので休日明けまで待って欲しいということ。
 仕方がないので、会社のアドレスに来たメールも、すべて別のアドレスで返信している。
 なんとも不便だが、原因が究明されるまでは仕方がない。ふぅ。

 そういう事情なので、私あてのメールの返事が、変なアドレスから届いたとしても、不審に思わないでくださいね>関係各位

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ワールド・ベースボール・クラシック

 意外に思われるムキも多いのだけど、田中さんは意外と野球通。子どもの頃に、当時の「阪急ブレーブス」に惚れ込んで以来、ずっと野球を追いかけていた。出身地の熊本は、「ほぼ8割が巨人ファン」(田中さん談)というお国柄らしいのだけど、そのなかで「阪急ブレーブス」のファンになったというのが、いかにも偏屈……もとい、ユニークな田中さんらしくて面白い。
 とはいえ、時代は移り変わるもので、阪急ブレーブスはオリックス・ブルーウェーブとなってしまった。イチロー選手が米国に渡ったときに、田中さんは「もうブレーブスじゃないし、ファンはやめたよ」と言い、仰木氏が亡くなられたときには「もう野球ファンをやめた」と言っていた。ま、そうは言っても、替わりに興味のあるスポーツが出来たわけではなし、当分は野球の話題で盛り上がることなんだろうけど。

 で、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)だ。
 アメリカの国威発揚に諸外国の力も借りよう、と考えたのか、ルールや審判の選定も含め、えらくアメリカ有利な運営がされていたように思えるのだけど、結局のところ、二次リーグで敗退することとなった。
 日本はと言えば、「三度目の正直」で韓国に大勝し、決勝戦に駒を進めたわけだ。
 よく、代理戦争になるスポーツ、ならないスポーツという言い方をするけど、日本や韓国においては、野球も代理戦争のスポーツになりうるのだなあ。もっとも、日韓だとサッカーだろうが、野球だろうが、柔道だろうが、スポーツなら何でも代理戦争の様相を呈する気もするが(笑)。

 口汚く罵りあったり、国旗に火を放って気勢を上げたり、大使館に投石をしたりするよりは、スポーツの世界でルールにのっとって「戦い」を繰り広げるほうが、よほど紳士的だと思う。
 いろいろと問題が露呈して、アメリカ国内でも今後の開催に疑問視するムキが出ているようだけど、アジアの平和のために頑張って続けて欲しいもんだと思うよ。あの審判だけは願い下げだけどね。
 

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光文三賞のパーティーに出席

 今日は、光文シエラザード財団主催の「日本ミステリー文学大賞」「日本ミステリー文学大賞新人賞」「鶴屋南北戯曲賞」、いわゆる光文三賞の受賞パーティーに出席した。今年から、田中さんが「日本ミステリー文学大賞新人賞」の選考委員になったため、秘書の私ともども光文社差し回しの車で会場入りという、なんだかすごい待遇を経験してしまった。

 控え室に入ると、今回、日本ミステリー文学大賞を受賞された赤川次郎先生が奥様、お嬢様と一緒にいらっしゃる。えーと、中学生からのファンとしては、一言お祝いを……と思うのだけど、うーん、話しかけることなんて出来るわけないじゃないっすか(笑)。
 その後、ミステリー文学大賞の選考委員である阿刀田高先生、権田萬治先生、森村誠一先生、田中さんと同じく、ミステリー文学大賞新人賞の選考委員である有栖川有栖先生、北村薫先生が登場。なんというか、いっきに部屋が華やかになる。やっぱり、オーラっていうのはあるんだよなあ。

 森村誠一先生は、いつものようにデジカメをお持ちで、皆さんの写真を撮っておられた。
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 で、私も便乗して田中さんと森村先生のツーショットを撮影。こうしてみると、やっぱり森村先生は格好いいなぁ。背筋がピンと伸びてらっしゃって、凛とした雰囲気を醸し出している。そのうえ、あの柔和なお顔をされているのだから、なんというか、「参った」という感じなのだ。

 時間になったので、授賞式会場に移動。
 今年はずいぶん出席者が多く、会場はあっという間に満席となっていた。なんどか椅子の追加がされていたのだけど、それでも立ち見の方がいらっしゃった様子。

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 まずは、光文社社長の並河良氏から開会のご挨拶。

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 ついで、日本ミステリー文学大賞を受賞された赤川次郎先生と、鶴屋南北戯曲賞を受賞された斎藤憐先生に、賞の贈呈が行われた。

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 選考委員の挨拶にうつり、まずは日本ミステリー文学大賞選考委員を代表されて、森村誠一先生のご挨拶。赤川次郎先生の読者層を分析されてのユーモアあふれるスピーチには、赤川次郎先生と森村誠一先生の日ごろのご交誼が感じられた。同じジャンルのトップ同士が、深い友情で結ばれているということは、本当に羨ましいことだと思う。

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 ついで、今回は残念ながら受賞作が出なかった、日本ミステリー文学大賞新人賞選考委員を代表されて、北村薫先生のご挨拶。次回は、是非「新人賞受賞、おめでとうございます」で始まるスピーチを聴きたいとのこと。確かに。

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 最後に、鶴屋南北戯曲賞の選考委員を代表されて、山口宏子先生のご挨拶があった。もともと、鶴屋南北戯曲賞を開設するにあたっては、斎藤憐先生のご尽力があったということ。そういう意味でも、今回の受賞は意義の深いものだと言えよう。

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 受賞者の挨拶に移り、まずは日本ミステリー文学大賞の赤川次郎先生のご挨拶。ご自身の作品は、「財界のトップの人や、政治のトップにいる人が愛読することはないだろう。逆に、それらから受ける重圧に耐える日々を送っている人に愛読してもらっていると思う。自分の作品を通じて、そのような人たちに一服の安らぎを与えることが出来れば、それが喜びである」という言葉には、同じエンターテインメント文芸の一端を担わせていただいている者として、自らの仕事の意義を、もういちど再確認させていただくことが出来た。

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 鶴屋南北戯曲賞を受賞された斎藤憐先生のご挨拶。たいていの演劇賞は、実際に観客と触れ合う俳優さんに与えられる場合が多いということ。そんななか、劇作家に対して賞を贈る、この光文シエラザード財団の「鶴屋南北戯曲賞」というのは、光文社の売り上げに結びつきにくいことから考えても(笑)、純粋に演劇文化の発展を願う財団の崇高な意志を感じるのだ。やはり、こういうところから文化というのは生まれていくんだよなあ。

 授賞式が終わったあとは、会場を変えてのパーティーとなる。
 ここで、私はいろんな編集さんと打ち合わせ(笑)。出版社のパーティーには、ほとんど顔を出さない田中さんが来ているということもあって、編集さんの挨拶が引きも切らない。うーん、さすがだ。

 とはいえ、小一時間もすればだいたい落ち着く。
 会場の隅のテーブルを、うちのスタッフの(中)や天野頌子さん、澤見彰さん、赤城毅さんらで囲んで、なんとなく「領地」を確保(笑)。その後は、ここを拠点に飲み物や食べ物を取りに行くことにした。
 なんやかやで、午後8時の中締めまで会場にいて、いろんな話をすることが出来た。
 いやぁ、楽しかったなあ。

 ハイヤーで自宅に帰る田中さんを、会場の入り口で見送り、私は有楽町まで歩いて帰宅。
 昨日の朝から、仕事のトラブルで頭痛もしていた私だったのだが、なんとなく吹っ切れた感じ。明日も頑張ろう。

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うつのみやこども賞、受賞!

 先日の日記で、ちょっと触れたのですが、田中さんの『ラインの虜囚』が「うつのみやこども賞」を受賞しました。
 これは、宇都宮図書館が主催している賞で、選定委員(宇都宮市内の小学校5~6年生で、一般公募)に月4タイトルずつの本を読んでもらい、その中から「月の本」を決定、年度末に「月の本」のなかから最優秀作品1点を選ぶ、というもの。田中さんの『ラインの虜囚』は、ほかの名のある作品のなかから、見事、最優秀作品に選ばれたとのこと。
 賞の基準は「友達にすすめたい本」で、月1度の選定会議は、子どもたち自身で進めているということです。

 田中さんとしては、ぜひ読んで欲しいと思っていた読者の皆さんに評価されたということで本当に嬉しい、とのこと。
 私としても、この賞は、もっとクローズアップされてもいいのになあ、と思っています。
 うつのみやこども賞選定委員の皆さん、どうもありがとうございました。
 授賞式には、田中さんと一緒に宇都宮まで伺いますので~。

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帰りつつあります(笑)。

 あと40分ほどで成田空港に着陸となります。
 ということは……。

 そうです、最近は航空機内でもインターネットが使えるのですね。ちょっとびっくりです。
 往復ともに利用したのですが、水平定常飛行に入ってからは、ほぼ問題なくアクセスできました。
 メールも使えたので、会社関係の打ち合わせなども幾つか済ませることが出来、大変に助かりました。

 この機内インターネット接続サービスは、現在、限られた路線のみのサービスらしいのですが、このさき、どんどん普及していくのは明白でしょう。便利な半面、なんともせわしないような気がします。

 出張に続く休暇で、ご迷惑をお掛けしましたが、明日(15日)は平常通り出社しますので、どうぞよろしくお願い致します。>関係各位

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ニューヨーク三日目

 ニューヨーク3日目は、初めての雨。日本を出発するときの天気予報では、雨のマークがなかったので、いつも持ってくる折りたたみ傘を忘れてきてしまった。アメリカの天気予報があてにならないことは、すでに何度も経験しているのにね。不覚。
 ホテルの入り口近くで、黒人の兄ちゃんがショッピングカートに傘を満載して売りに来ていたので、購入。二、三回使えば壊れてしまうような折りたたみ傘。5ドル也。
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 朝食は、フレンチトースト。昨日よりも軽い物を…と思ったのだけど、充分に重かった。

 今日の午前中は、各自自由行動を取ることになる。
 私は、自宅で使っているL'OCCITANEのシャンプーが無くなりかけていたので、それを買いに行く。なにもニューヨークまで来て、シャンプーを買わなくても……と思うのだけど、日本で買うのに比べて、半額近くで手にはいるのだからねえ。
 日本を出る前に、ホテルの近所に支店があることは調査済み。で、雨の中を二ブロック先まで歩いてみると……。
 支店がなくなってました(泣)。
 入り口の貼り紙には、「3月1日でやめちゃったから~。もう一つの店のほうに行ってね」と書いてある。
 仕方ないので、指示されたとおり、もうひとつの店に向かう。
 で、雨の中をさらに数ブロック先まで歩いてみると……。
 お店は日曜日定休でした(泣)。
 なんで、シャンプーひとつ買うのに、こんな苦労せにゃならんのだ。と、思う。

 ふと、横をみると、L'OCCITANEの店の隣に何やら面白そうな店が。メトロポリタン美術館のミュージアムショップの支店だった。
 おぉ、これはいい、とさっそく入ってみる。
 「君もヒエログリフで遊んでみよう」という感じの「ヒエログリフ・スタンプ・セット」と、見ているだけで気分が悪くなること請け合いの「錯視体験」セットを買う。店員に、錯視セットを示し、「これ見ていたら気分が悪くなった」と言ってみたら、「うん、僕も」と笑っていた。こういうのは人種の壁を越えるのだな。
 外に出ると、相変わらずの雨。
 いちど荷物を置きにホテルに戻る。

 11時過ぎにふたたび外出。
 アメリカ自然史博物館で、同行者のO氏と待ち合わせなのだ。ホテルの横の地下鉄で「B」ラインに乗れば、すぐに着くはず~と、地下のホームに降りてみて唖然。「B」ラインが到着するとおぼしきホームに、ロープが張られている。
 反対側のホームで電車を待っている老紳士に聞いてみたら、「B」ラインは日曜休日は運転していないんだと!
 てっきり、この路線で行くつもりにしていた私は、かなり焦ったのだが、仕方がないので乗り継いで博物館まで行く。
 博物館の駅に着いたのは、待ち合わせの時間とほぼ同時。
 81st.側の入り口で待つと聞いていたので、そちらに行ったのだが、彼の姿がない。15分ほど待ったが現れないので、これは待ち合わせ場所を間違えたと判断。入り口近くの係員に、「地下鉄の入り口に一番近いゲートは何処か」と聞いてみたら、なんと、地下鉄から直結するゲートがある、というではないか。では、そのゲートにはどうやって行くのか、と聞いたら、「このゲートを入って左に曲がればすぐだけど、入場券がなければゲートを通すわけにはいかない」とのこと。えぇい、仕方がない。
 ふたたび地下鉄の駅に戻り、仕方ないので切符を買って中に入る。こんなことなら期日内乗り降り自由のメトロカードを買っておくんだった。
 で、行ってみると確かに地下鉄から直結するゲートがあるのだけど、これには77st.入り口と書いてある。どうりで、さっき見落としたわけだ。
 ここでO氏の姿を探すのだけど、ここにも見あたらない。
 うーん、と再び81st.の入り口に行き、もういちど77st.の入り口に行き、さらに81st.の入り口を目指していたときに、正面玄関前でO氏と出会う。どうやら、彼のほうは77st.の地下入り口を振り出しに、同じようなことをやっていたらしい(笑)。
 合流したのは、12時45分。予約したプラネタリウムの時間は午後1時。チケット・ブースには長蛇の列で、万事休すかと思われたのだけど、クレジットカードと予約番号を入れるセルフ発券機を試してみたところ、するっとチケットが!大逆転!

 プラネタリウムは、トム・ハンクスのナレーションで宇宙の大きさを体験させる内容。地球→太陽系→銀河系→銀河団……という感じで、どんどん視点を大きくしていく。内容的には目新しくもないものなんだけど、映像効果、音響効果はやっぱり凄い。日本でもこういうプラネタリウム・ショーをやっているところはないもんかね。まだ「満天」になる前のサンシャイン・プラネタリウムで「星とアニソンの夕べ」なんていうイロモノ企画をやっていたのは知っているんだが。

 アメリカの博物館は、ただの展示というよりも、体験型というか、見て、触って、理解を深めることを重視しているようだ。
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 で、触ってみましたよ、月。
 私たちがこの写真を撮ったあと、アメリカ人の親子連れが、同じようにして写真を撮っていた。ひょっとしてウケた?

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 これは、密閉されたガラス容器に小エビと藻が入っている閉鎖生態系。太陽の光を与えることで藻が光合成により酸素を発生させ、その酸素を吸い、藻を食べることで小エビが生き延び、その小エビの排出した二酸化炭素を藻が光合成に用い、さらには排泄物を肥料として分解、吸収し……という具合で、あら不思議、エビちゃんは餌をあげなくても生きてますよ、という仕掛け。
 よく、日本でも科学おもちゃを扱っている店などで売っているのだけど、せいぜい直径10センチほどの球体。これほど大きな物は見たことがなかった。でも、よくよく考えてみると、水量が大きければ大きいほど緩衝力は強まるわけで、大きい方が飼育は容易なんじゃないのかな。持ち運びは不便だろうけどさ。

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 同じく体験型展示のひとつ。「もし、あなたが太陽に行ったら、体重はどれくらいになるでしょう」体重計。

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 これも体験型展示のひとつ。地震計が置いてあって「ジャンプしてみて!」と書いてある。
 うーん、地震計の前でジャンプして良い、というのは初めてだ。で、トライしているO氏。

 地球&宇宙のコーナーを見終わったので、本館のほうも覗いてみる。

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 と、目の前に出現するシロナガスクジラの実物大模型。でっかい。これを見て、「すげぇ、鯨カツにしたら何人分だろう」とか呟いていたのは私たちだけ(笑)。

 ほかにも、いわゆる恐竜たちの展示も人気。
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 これなんか、ぜんぶ本物の化石を展示している。レプリカじゃない。

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 こうして見ると、ごつい歯をしている。

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 亀のご先祖様は、天井から吊されるかたちで展示されていた。

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 いいかげんお腹もすいたので、地下のフードコートで軽食。ピザがあったので食べてみたのだけど、油が強すぎて胸焼けしそう。味は悪くなかったんだけどね。

 博物館を出たのは、午後4時前。
 朝のシャンプー買い出しが不首尾に終わったことを、いまさらながらに思い出してしまい、グランド・セントラル駅に支店があったなあ、タクシーを飛ばす。考えてみたら、毎日、グランド・セントラル駅に来ているなあ。
 いくら日曜日だといえ、ここは営業していた。
 無事に買い物を済ませて、ホテルまで散歩がてら歩く。

 途中で「トイざラス」があったので入ってみる。
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 あの~、どうして店のなかに観覧車が回っているんでしょうか。
 店内は、さまざまなオモチャであふれかえり、ふと気付くと手にオモチャの入った買い物袋が(笑)。

 ニューヨーク・ヤンキースの店があったので入ってみると、店内のモニタでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の実況をやっている。お、日本対アメリカではないか、しかも、日本が勝っているではないか。
 慌ててホテルに戻り、テレビ観戦。
 試合は、明らかにアメリカの審判の誤審で日本のチャンスが潰され、サヨナラ負け。

 ニューヨーク最後の夕食、なにを食べようか。と、O氏に聞いてみたところ、「今日は日本食気分」とのこと。え~っと、明日には日本に帰るんですけど。ま、いいけどね(笑)。
 ちょっと歩いて連れて行ってもらった店は、ビルの地下にある「酒蔵」という店。
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 店名に恥じない感じで、さまざまな日本酒を揃えている。聞けば、日本の酒造メーカーがアメリカに進出する際、この店で試飲会を開いたりするそうだ。

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 肴もよい感じ。うーん、これはいい店を教えてもらった。

 実は、この日の朝、宇都宮市立図書館が主催している「うつのみやこども賞」に、田中さんの『ラインの虜囚』が選ばれたという報告があり、私としては祝杯を挙げたい気分だったのだ。で、大変気持ちよく杯を重ねることが出来た。

 たっぷり飲んで、食べて、ホテルにタクシーで帰還。あー、旨かった。

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ニューヨーク二日目

 現在、アメリカ東部時間3月11日午後11時50分。

 ニューヨーク二日目。
 午前9時にロビーに集合して、朝食を食べに外に出る。と言っても、ホテルの隣にあるファミレスに行くだけ。

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 このファミレス、去年、このホテルに泊まったときにもよく利用した。日本にもあるような普通のファミレスなんだが、やはり量はアメリカサイズ。こんなのを朝から食べていたら、体重も増えるわなぁ。

 ちょっと歩いて地下鉄に乗って、メトロポリタン美術館へ。
 ここの凄いところは、これほどの規模を持ちながらも、さらに前進を続けるところ。来年には、また新しいウィングが出来るみたい。正直、ニューヨークに住んでいる人が羨ましい。

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 昨年、ここでフェルメールを見て、その「力」に魅了されたのだ。それまで、美術館巡りなど興味なかった私が、わざわざニューヨークまで絵を見に来るようになったのだから、原画の持つ力、恐るべしという感じ。
 その「少女」は、昨年とまったく変わらぬ姿で迎えてくれた。

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 で、先月のアメリカ取材旅行でワシントンD.C.に行ったおり、ナショナル・ギャラリーで今度はクロード・モネの絵に「捕まった」私。ここメトロポリタン美術館には、クロード・モネの作品がたくさん収められている。

 フェルメールと、モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴーギャン、ゴヤなどなど。何時間見ていても見飽きないのは、やはり原画がもつ力なんだろうな。
 さらにいえば、絵を前にして、身体を近づけたり遠ざけたり、自由自在に見ることが出来るのも、アメリカの美術館の魅力。ひとつの絵の前に観客がひしめき合っている日本の美術館とは、やはり建て方自体が違うんだろうなあ。

 後ろ髪を引かれつつ、メトロポリタン美術館を出て、次に向かったのが「フリック・コレクション」。ここは、ピッツバーグの鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリックが、その生涯を掛けて収集した美術品を展示しているところ。もちろん、財力の裏付けがあったことも確かなのだが、それ以上に素晴らしいのが彼の審美眼。展示に際しても、その魅力を最大限、生かすことに主眼が置かれており、時代や地域で分類される、いわゆる「博物館式」の展示ではなく、部屋全体の調和を考えた展示となっている。残念ながら写真撮影は禁止なので、その姿をお伝えすることは出来ないのだが、こればかりは是非、実際に行って確かめていただきたい。
 ちなみに、ここにもフェルメールの作品が二つ、展示されていた。

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 フリック・コレクションを出た後、セントラル・パークを歩いて抜けて、地下鉄の駅を目指す。
 これは、途中にあった池。そうか、この池が凍ったところで、キング・コングが遊んでいたのだな。

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 ストロベリー・フィールドの脇には、イマジンの碑がある。ファンが持ち寄った花でピースサインを作っているのが判る。

 地下鉄でペン・ステーションに出て、マジソン・スクエア・ガーデンでスポーツのチケットセンターを覗くが、やはりこの週末のチケットはすべて売り切れ。ま、仕方がない。
 タクシーに乗って、イントレピッド博物館に向かう。

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 ここは、1943年に就役し、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、数々の戦いで活躍した空母「イントレピッド」を展示しているもの。

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 飛行甲板には、このようにF-14ジェット戦闘機などが展示されている。

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 しかし、不思議なことに陸上機であるはずの、超音速偵察機ブラックバードなどもあったりして(笑)。

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 ま、横を見れば、こんな感じでコンコルドが置いてあるのだから、なんでもアリなんだろう。

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 ちなみに、コンコルドの内部も見ることが出来る。これは、後部搭乗口から後ろの客席を見たところ。これで判るとおり、座席は非常に狭い。コンコルドのチケットは、全席がファーストクラス扱いだったと聞いたことがあるのだが、これでファーストクラスというのは酷だなあ。ま、飛行時間が短いのだから、それくらいは我慢せい、ということなのかも。

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 ここがコクピット。狭いうえに、視界が悪い。コンコルドは離着陸時の前方視界を確保するため、機首が下に折れ曲がるようなギミックが付いていたのだけど、今後はこんな飛行機は出てこないだろうなあ。もし、同様の超音速機を設計するとしたって、テレビカメラを付ければ済む話で終わってしまうだろう。

 イントレピッドを堪能したあと、いったんホテルに帰って休憩。私は靴下やら下着やらを洗濯して過ごす。

 午後7時にふたたび集まって、食事に行く。
 いろいろと迷ったのだけど、44thストリートまで歩いて、ステーキを食べることに。

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 で、これが私の頼んだフィレ・ミニョン。表面はかりかりに焼けているのに、なかは肉汁がたっぷり。うーん、至福。これで量が半分だったら言うことなしなんだけどね。

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 それでも、食後にコーヒーとシャーベットを頼むくらいだから、だんだん胃袋もアメリカの食事に慣れてきたのかも知れない。恐ろしいことだ。

 腹ごなしを兼ねて、ホテルまで散歩をして戻る。
 明日は、アメリカ自然史博物館でプラネタリウムを見る予定。これも楽しみだ。

 ……で、ホテルに帰ってネットを見たら、アメリカで3頭目のBSE疑惑牛が見つかったというニュースが(笑)。
 ま、喰っちゃったもんは仕方ないねえ。

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ニューヨークに来ています。

 現在、アメリカ東海岸時間で、3月10日(金)午後11時45分。

 ここ数日、ココログのシステムがトラブっていたようで、書き込みが出来なかった。
 空いてしまったところは、あとから書き込むこととして(ココログは、過去に遡って書き込みが出来るのだ。これは大変にありがたい機能と言えよう)、まずはリアルタイムの報告を。

 日本時間の10日午前11時に成田を発って、ニューヨークに来ている。今回はあくまでも休暇。
 古くからの友人と、春のニューヨーク散策としゃれ込んだ。とはいえ、やはりお互い仕事のある身。現地のホテル集合、現地のホテル解散ということになった。
 日付変更線を越えて、10日の午前10時過ぎにニューヨークJFK空港に到着した私だったが、めずらしく飛行機のなかでほとんど眠ることが出来ず、そのままニューヨークに到着した。この体調では、注意力散漫から思わぬ事故にも繋がりかねない、と判断し、タクシーをフンパツしたところまでは良かったのだが、これが大誤算。タクシーの運転が荒いこと、荒いこと。久しぶりにひどい車酔いになってしまった。
  
 ホテルに着いても立ち上がるのがツライほどで、しばらくホテルのロビーで休んでいた。。
 少し回復したところでチェックイン。本来のチェックイン時刻からは、かなり早いのでどうかなと思ったのだけど、フロントで聞いてみたら「大丈夫」とのことだったので、部屋に入れてもらう。
 このあたりで眠気が限界。シャワーをざっと浴びたところで力尽き、ベッドに倒れ込む。

 気が付くと、1時間が経過している。まだまだ疲れはとれていない感じなのだけど、このまま寝続けてしまうと、時差ボケが確定してしまう。もういちどシャワーを浴びて、ホテルの近所を散歩。昨年、ニューヨークに来たときも、このあたりに泊まったんだよなあ。と思いつつ散歩していたのだが、よくよく考えると、「このあたり」どころの騒ぎではない、ずばり、このホテルだった(笑)。しかも、そのことに気付いたのは夕食を終えてホテルに戻ってきたときだった。やはり、脳が働いていなかったらしい。

 散歩から戻って、一休みしていると同行者のO氏からホテルに着いたと内線電話。いやはや、無事に合流できたのでホッとした。

 考えてみれば、彼に会うのも久しぶりなのだが、ま、積もる話は後からでものんびり出来るので、まずは外に出る。
 
 まずは夜景がきれいな場所ということで、ロックフェラー・プラザの70階にある展望台、「トップ・オブ・ザ・ロック」に行く。去年、ニューヨークに来たときには誰も話題にしていなかったなあ、と思って調べてみたら、オープンしたのは去年の秋らしい。道理で知らないわけだ。
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 70階の展望テラスは、さすがに転落防止のアクリルガラスで囲われているのだけど、そのところどころに「隙間」がある。どうやら、「ここからカメラのレンズを出しなさいね」ということらしい。ありがたい配慮なんだけど、やっぱり怖い。

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 とはいえ、ここからの眺めは最高だった。WTCが無くなってしまったあと、マンハッタンの展望台といえばエンパイヤ・ステートビルが有名なのだけど、エンパイヤ・ステートビルに登ってしまうと、エンパイヤ・ステートビル自身を見ることは出来ない。当然だけど。
 ここでは、この写真のように、しっかりと見ることが出来るのだ。

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 反対側を見ると、セントラル・パークが暗く沈んでいるのが判る。そうか、キング・コングは、あそこからエンパイヤ・ステートビルまで走ったのね。ふむ。

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 で、目を後ろに向けると、気象観測用とおぼしきドップラーレーダーのドームが目の前に。これって、人体に悪影響はないんだろうなあ(笑)。

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 夜景を堪能して地上に降りると、そこは名物のスケートリンクの前。
 こうして見ていると、みんな上手。文字通り、老若男女が楽しんでいるのが見えた。

 そろそろ腹ごしらえを……と、ちょっと歩いてグランド・セントラル・ステーションまで。
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 中に入ると、こんな感じ。ワシントンD.C.のユニオン・ステーションも凄かったけど、ここも凄いや。でも、建物を見るのが目的ではないので、そそくさと地下に潜る。

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 そう、お目当てはここの「グランド・セントラル・オイスターバー&レストラン」。数年前、品川に支店が出来たので、そこで食べれば良いようなものなんだけど、やっぱり本場のオイスターバーを体験してみたいじゃないの。
 身体が疲れているというのが、ちょっと不安要素だったけど、あえて目をつぶる(笑)。

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 まず、品川店でも必ず頼む、ニューヨーク・クラムチャウダー。このとろりとした味わいがたまらない。唯一の欠点は、これ一杯でお腹がふくれてしまうことなんだよねえ。

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 で、ついでオイスターの盛り合わせを頼む。
 地ビールを飲みつつ、オイスターの味わいを楽しむ。なんという贅沢か。

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 すっかり満腹になって店を出て、タイムズ・スクウェアを冷やかしつつホテルに戻る。と、その途中、歩道の端に変な物が見えた。どうやら、液化窒素のボンベらしい。ボンベから出た細いホースは、マンホールのなかに消えていった。これ、なんだったんだろう。

 ホテルの部屋に戻ると、ぐわーん、という感じで眠気が押し寄せてくる。
 そんななか、なんとかこの日記の更新だけは済ませる。
 明日は、いよいよ博物館めぐり。こちらも楽しみだ~。 

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広島取材旅行二日目

 10時過ぎに呉のホテルを出発。レンタカーで入船山記念館に向かう。
 ここは、呉鎮守府の長官公邸として使われていた建物が保存されている。

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 入り口の大時計は、呉海軍工廠の造機部の屋上に設置されていたものだという。こうして地上近くで見ると、かなり大きいものだ。

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 門を守っていた衛兵のボックスがコレ。赤城さんが足を置いている石だが、ちょうど足のかたちにすり減っている。ずっと同じ場所に立っていたことの証拠、ということだったが、なんともすごいことだ。

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 奥に歩いていくと、いよいよ呉鎮守府司令長官公邸が見えてくる。正面は、洋館風に出来ている。

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 玄関のガラス。ちゃんと錨と桜が描かれている。
 
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 書斎を兼ねた、応接室。写っているのは司令長官が使っていたとおぼしき机。左手には来客用のソファなどがある。

 この奥には、プライベート・スペースとして使われていた和室部分が広がっている。やっぱり、いかな呉鎮守府司令長官といえど、くつろぐときには和室だったんだろうね。気持ちはすごく判るなあ。

 車に戻って、今度は海軍墓地に移動。
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 ここは、大戦中に戦没した艦艇と、そこに乗り組んでいた将兵の記念碑がある。

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 これは、重巡洋艦最上の慰霊碑。

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 これは、ショートランド島での戦没者慰霊碑。ちなみに、揮毫は草鹿龍之介元海軍中将。

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 工作艦明石の慰霊碑。

 こうしてみると、本当にたくさんの人々の犠牲のもとに、現在の私たちの繁栄があるのだな、ということが実感できる。
 是非、機会があれば行ってみて欲しい。

 ふたたび車に乗り込み、こんどは江田島に向かう。
 呉から江田島へは、フェリーで小用港に向かうルートと、陸路で島つたいに行くルートの二つがある。往路は陸路を使うことに決め、1時間少々かけて到着。

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 海上自衛隊幹部候補生学校(旧帝国海軍兵学校)の前での一枚。教育部長兼学生隊長のS一佐が出迎えてくださった。

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 校舎の裏側。イギリス風の造りで、アーチで支えられた外廊下が大変に美しい。ちなみに、手前、板張りの部分があるのだが、これは戦艦金剛の甲板に敷かれていた板材で、改修の際に程度のよいものを選んでここに敷き直したものだという。

 まずは、幹部候補生学校副校長にご挨拶をして、いろいろなお話を伺った。海軍からの伝統を、いかに現代の若者に伝えていくか。とくに「精神を伝える」ことの難しさについてのお話が印象に残った。
 その後、数々の遺品などが展示されている「教育参考館」を見学したのだが、ここは写真撮影禁止なので割愛。一般見学でも、この教育参考館は見せて貰えるので、是非、いちど行ってみて欲しい。

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 次に向かったのは、江田島で一番古い建物。さきほどの「赤レンガ」よりも5年ほど先に建てられたという。以前は水交社として将校の社交場として使われていたそうだ。現在も、海幕議長などが呉に来た際、宿泊することがあるそうで。

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 ここは、高松宮殿下が海軍兵学校におられたとき、休日を過ごすために建てられた家屋。一般の学生は、休日には江田島の下宿屋に戻り、のんびりと過ごしたようなのだが、さすがに宮様を下宿屋に入れるわけにもいかず。さりとて、休日まで兵学校の宿舎では気が詰まってしまう、ということで、兵学校の一番奥に近い部分に建てられたという。普通の民家に見えるが、総檜造りで堅牢に作られているとのこと。

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 グラウンドの横を通りかかると、ちょうど3月21日の卒業式を控えた生徒さんたちが、集合の練習をしている。さすがに背筋も伸びて、キレイなもんだなぁ、と思っていたら……。なにやらスピーカーから命令が達せられた様子。

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 いきなり走って宿舎に戻る!

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 ほんの数分で、さきほどまでの礼装とはうってかわった作業着姿で、グラウンドを走る生徒さんたちが。
 実は、これ、抜き打ちで行われる「総短艇」(そうたんてい)という訓練。さきほど、グラウンドで「××分隊、×番ダビッド、△△分隊、△番ダビッド……」という放送が行われたのだが、これが各分隊に割り当てられるダビッド(短艇を保持するクレーン状のモノ)を指示したようだ。で、最後の「かかれ!」の号令一下、全員が自分たちの部屋(実は4階にある)まで駆け上がり、作業着に着替え、ふたたび外に出て、桟橋のダビッドに駆けつけるわけ。

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 ダビッドでは、すぐに短艇を下ろす作業が始まる。各分隊から、漕手12名、舵取1名、艇長1名の計14名が乗り込み、力強く短艇を漕ぎ始める。
 この「総短艇」という競技は、短艇を下ろし、沖合にある二つのブイを周り、戻ってきて短艇をダビッドに固定するまでのタイムを競うもの。

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 「かかれ」が掛かってから、ほんの数分で、短艇たちは沖合に。
 この日は、幹部候補生学校の校長が東京出張中ということもあり、生徒さんたちも「今日はやらないだろう」と思っていた様子。その裏をかく抜き打ち訓練。気の毒というか、なんというか。
 実は、この「総短艇」訓練。年間に10回あるかないかということ。たまたま、私たちの取材日、取材時間がこれに当たったと言うことで、私たちはラッキーだった。生徒さんには申し訳ないが(笑)。

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 そうこうしているうちに、最初の短艇が戻ってくる。案内役の方によれば、このときの生徒さんは、すでに酸欠状態で頭も朦朧としているらしい。

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 しかし、安全はすべてに優先する。少しでも危険な行動があれば、横で見ている教官が「やりなおし」を命じるとのこと。また、各短艇を双眼鏡で監視する役割の教官もおり、ルール違反があれば、即座にペナルティが課されるとのこと。

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 今回は、この11番が一着。書き忘れたが、「総短艇」競技でトップになっても採点には何の影響もない、もちろん、ビリになっても何の影響もないということ。ただ、彼らは自分たちの名誉をかけて、日々、自主的な練習と鍛錬を重ねるとのこと。こういうのも、いいもんだ。

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 見学の最後に、大講堂の内部を見せてもらった。
 壇上中央、半ドーム状になっているのが玉座。これほど大きい建物なのに、バルコニーを支えるもの以外、いっさい柱がない。
 この大講堂は大正元年から6年間かけて建てられたそうなのだが、設計から土木工事、建物の建設まで、すべて海軍内部の手で行われたとのこと。当時の海軍の技術レベルの高さがうかがえる。

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 幹部候補生学校を出た後、切串港からフェリーで広島に向かった。夕暮れの瀬戸内は、なんとも優しい表情を見せていた。

 さて、この取材の成果を赤城さんが生かすのは、いつになることやら。
 海上自衛隊幹部候補生学校の皆様、大変にお世話になりました。生徒の皆さん、くれぐれも事故には気を付けて、卒業までの残り少ない日々を有意義に過ごされますことを。本当にありがとうございました。

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広島取材旅行一日目

 広島取材旅行一日目。
 無事に取材を終えて、あとは楽しみにしていた食事~。

 この時期に瀬戸内海に来たのだから、美味しい魚を食べようということになる。とはいえ、東京でいくら情報を集めても、本当に美味しい店というのは判らないものなので、失礼ながら現地での取材相手、戦史研究家の戸高一成先生にお店の選択から予約までをお願いしてしまった。
 さすがに、呉は海軍の街だけあって、以前は連合艦隊士官、現在は海上自衛隊幹部が、通っている料亭というのがある。
 今回も、そのうちの一軒にお邪魔した。

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 驚いたのは、メインの「ふぐ刺し」。いままでに私がふぐ刺しを食べた、数少ない経験から言うと、ふぐ刺しというのは向こうが透けて見えるほど薄く切るもんだと思っていた。でも、ここのふぐ刺しは普通の倍近く、厚く切っている。聞けば、下関で水揚げされるふぐ(現地では「ふく」と呼ぶらしいが)は、淡泊な味が身上。でも、ここ呉・音戸のふぐは、噛みしめるほどに味がする味の濃さが身上なんだそうで。事実、本当に美味しかった。

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 で、赤城さんが初体験だったのが、この「白魚の躍り食い」。まさに春が来たことを実感させるもの。
 白魚がぴちぴちと跳ねながら喉をすべりおちていく感覚が、なんとも言えない。
 でも、こんな食べ方、欧米人に見せたら大騒ぎするんだろうなあ。もったいない話。

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 シメの「ふぐ雑炊」。やっぱりシメはこれでしょう。この店でも、この雑炊を食べたいがために、ふぐをオーダーするお客さんがいるとのこと。さもありなん。
 いやはや、本当に旨かった。

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 おまけ。
 呉は地酒でも美味しいものが揃っているのだけど、この「提督」は特別。中身は品評会で金賞を受賞した大吟醸酒で、これは普通の酒屋さんでも買えるものなのだけど、この「提督」と書かれたラベルのビンは、海上自衛隊関連のところにしか出荷されないそうだ。赤城さんは、記念にビンをもらって帰ってきた。うーん。

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エアコンが新しくなった!

 2月27日に壊れた、うちの会社のエアコン。今日、ようやく新しいエアコンに更新する工事が行われた。

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 これが新しくなったエアコン。当たり前だけど、ピカピカだよ。消費電力も、以前のものに比べて7割近く少なくなっているそうだ。やっぱり技術は進歩しているんだねえ。

 それは良いのだけど、工事が行われているあいだ、騒音や粉塵で、とても仕事なんて出来やしない状態。来客なんてトンでもない。
 で、田中さんとの打ち合わせは、近所の喫茶店でやることにした。このお店、その場で焼いてくれるワッフルが美味しいのだけど、最近はハーブティーにも力を入れているようす。契約農場から届けられる無農薬のハーブを使っているんだとのこと。
 私は「気分をすっきりさせる」ハーブブレンド・ティー。田中さんは、ミント・ティー。
 ガラス製のポットに入れられたハーブ・ティーは、とても美味しかったのだけど、大の男ふたりが喫茶店の片隅で啜っていると、けっこう不思議な光景だったみたい。なんとなく遠巻きにされていた気がしたなあ。ま、いいんだけどさ(笑)。

 明日から、広島県に出張。天気が良いといいんだけどねえ。

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小説塾スクーリング

 今日は、うちの会社が主宰する「らいとすたっふ小説塾」のスクーリング。
 いつもより出席者が少ないとはいえ、25名近くの受講生が集う。講師は、現在、もっとも勢いのあるライトノベル・レーベルで編集実務を担当している友人にお願いした。これまでの講師(一般ノベルスの編集長)とは、まったく違う本作りの考え方に、けっこう戸惑いを感じた受講生もいたようだったが、これがライトノベル業界の現実である。

 すでに飽和状態とも思えたなかに、去年から今年にかけて続々と立ち上げられた新レーベルが参入してくるのだ。戦国時代よりも過酷な生き残り合戦が展開されるであろう……と、ここまでは私も予測していたのだが、あにはからんや、すでに戦いの帰趨は見えつつあるとのこと。なんという熾烈な戦場なのか。正直、私には到底、関わり合うことも出来ないほど「熱い」シーンなのだろう。

 そもそも、従来レーベルの編集部が、文字通り汗水涙と引き替えに得たノウハウを生かし、さらに血の出るような努力を続けることで、ようやく成立しているライトノベル出版業界を、表層だけを見て活況の分野だと思いこみ、たいした覚悟もせずに新規参入したのであったとすれば、早晩、手痛い目に遭うことは必定だと思う。
 もちろん、既存レーベルのなかでも、現状に安住し、読者を軽視するような考えをもったとするならば、そのレーベルの見通しは暗いと言わざるを得ない。どのジャンルでもそうなのだが、やはり読者をきちんと把握し、その読者にどのような小説を投げ続けていくか、を、編集者は考え、実行していくことが重要なのだと思う。

 午後の数時間ではあったのだが、なんとも濃い時間を過ごすことが出来た。
 出席された受講生の皆さん、お疲れさまでした。次回のスクーリングにも、ぜひ出席してください。

 

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また留守にします。

 ご連絡するのを忘れていました。
 3月7日(火曜日)から14日まで、東京を留守にします。
 一応、メール環境は確保する予定ですので連絡は付くと思われますが、レスポンスは遅くなることもあります。
 また、顔を合わせての打ち合わせは、15日以降にお願いします。
 会社のほうは、平常通り営業しております。
 ご迷惑をお掛けしますが、どうぞよろしくお願い致します。>関係各位

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パーティーに出席

 今日は、徳間書店主催の「大藪春彦賞」「日本SF大賞」「日本SF新人賞」、いわゆる「徳間三賞」の授賞式&祝賀パーティーに出席してきた。会場となった東京會舘には、日ごろお世話になっている編集さんや、作家さんがいっぱい。一回りして挨拶をするだけで、ヘトヘトになってしまった。
 私がガキのころから愛読している小説の作家さんが、ふと目の前を横切られたりすると、思わず居住まいを正してしまったり。うーん、やっぱり、こういう場は緊張するねえ。

 とは言いつつも、しっかり中締めまで会場に居座り、様々な話を楽しむことが出来た。
 こういう機会も、たまにはいいやね。

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『ノルマルク戦記』始動!

 以前、中央公論新社のC☆NOVELSで出ていた赤城さんの『ノルマルク戦史』だが、このたび、大幅な加筆・訂正を加えたうえで、集英社のスーパーダッシュ文庫でリニューアル刊行がはじまった。タイトルも『ノルマルク戦記』と改められている。
 赤城さんによれば、C☆NOVELS版を執筆しているときには、編集さんの意向もあり、なかなか自分の思ったような話はこびが出来なかったという。今回は、編集さんとの意気もぴったり合っているということで、とても気持ちよく加筆・訂正作業をさせてもらっているようす。
 C☆NOVELS版では、ラストまで行かないままに中断してしまったのだけど、今度は最終巻まで突っ走ることが出来そうだ。

 いま、「突っ走る」と書いたけど、これ、文字通りの意味。
 なんと、このシリーズは6ヶ月連続刊行を目標にしているのだそうで。
 うーん、これは楽しみになってきた、と思う半面、地図図版などの手伝いをしている身としては、なかなか大変な仕事になったなあ、と思う。

 ともあれ、先日発売された『ノルマルク戦記』1巻と2巻の売れ行きは上々ということ。
 過去、C☆NOVELS版をお読みになっていた方に、もういちどお買いあげいただくのは心苦しいのだけど、もし、よろしければ書店でぱらぱらとめくってみていただきたい。きっと、内容的には満足いただけるものと思いますので。

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やっぱりそうなるのかぁ……

 先日、田中さんと雑談をしていたときのこと。
田中「いま書いている『薬師寺』が終わると、いよいよ『アルスラーン戦記』に取りかかるんだよね」
私 「ほんと、楽しみです」
田中「うん、次の巻かなぁ、もう少し先に延びるかなぁ」
私 「は?」
田中「いや、ほら、だんだんキャラクターが死んでいくじゃない?」

「死んでいくじゃない?」って、私に言われても……。っていうか、やっぱり死ぬんですね。いや、判っていましたけどね。付き合い、長いですし。

 田中さんのなかでは、すでに誰がどういう状況で……というのも決まっているらしい。「教えてあげようか?」と言われたけど、そんな恐ろしいこと、誰が知りたいもんですか。

 そうは言っても、やっぱり続きは読みたいんで、はやく書いて欲しいんだよねぇ。あー、矛盾しているなあ。

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