子供の頃、よく両親に連れて行ってもらった神田万世橋の交通博物館だが、いよいよ閉館の日が近づいてきた。考えてみれば、戦前に建てられた建物が、よく今までがんばってくれていたものだ。
閉館イベントのひとつとして、この博物館の歴史を語る上ではずすことの出来ない、旧万世橋駅の遺構見学ツアーが行われていると聞き、今後の作品に役立てばと思い、赤城さんに声を掛けた。美味しいものを食べさせる老舗が連なる神田万世橋ということで、なにか思うところがあったらしい。気がつけば社員全員も同行するという大所帯(笑)。ま、いいけどね。

「交通博物館」といえば、ここ。新幹線とデゴイチが頭を並べている図というのは、子供の頃から慣れ親しんでいた。交通博物館は、さいたま市に移転して「鉄道博物館」になるそうなのだけど、完成予想図をみた限りでは、いわゆるモダンな博物館になる感じ。私としては、この新幹線&デゴイチに代表される「いかにも古臭い」ところが良かったんだけどなあ。

交通博物館の看板。これも、戦前からあるものなのかしら。でも、金属製だし、きっと戦後、作り直されたものなんだろうな。(そう推理した理由は後述)

交通博物館じたいの見学はさておき、まずは「旧万世橋駅遺構見学ツアー」に出発。係員の注意事項を聞いた後、一列にならんで博物館のバックヤードに行き、ドアを開ければ、そこはもう旧万世橋駅。なんとなく、わくわくする瞬間。


ここが旧万世橋駅のなか。ツアー参加者は、まずこの場でビデオ上映を見ることになる。ビデオの出来じたいはともかく、内容的には非常に興味深い。私のように、生まれも育ちも東京という者には、自分たちの両親や親戚の伯父、伯母から聞いていた話とも相まって、なんとも感慨深い。

壁や天井は、すべて煉瓦で造られている。万世橋駅の開業が明治45年(1912年)ということだから、すでに90年以上は経過しているはずなんだけど、見たところしっかりしている。昨今はやりの 耐震強度偽装問題の関係者は、この煉瓦を積んだ職人さんの爪の垢を煎じて飲まなければいけないな。

いよいよ、ホームに移動。
これは、ホームにあがる階段に張ってあった琺瑯引きの駅名表示。おそらく、今回の遺構見学ツアーのために再制作されたものだとは思うのだけど、なんとも懐かしい気持ちになった。私の子供の頃は、こういう駅名表示が当たり前だったんだけどなあ。

ホームにあがる階段。通路の幅は、現在の駅に比べると狭め。これは日本人の体格が小さかったことに加え、電車を利用する人の数も、さほど多くなかったからなのだろうな。同じ時代に造られた外国の駅(たとえば、ニューヨークのグランド・セントラル・ステーション)などと比較すると、いかにもそう感じる。

階段に張られていたはずの「滑り止め」は、すべて剥がされている。これは、戦時中、金属が不足したために回収されてしまったから。駅の階段から滑り止めを剥がさなければならないというくらいなんだから、負け戦というのはつらいものである。ちなみに、私が交通博物館の看板が戦後製だと思った理由は、これ。

万世橋駅のホームにあがるところには、温室のような展望室が仮設されていた。ツアー参加者は、ここから万世橋駅のホームを見ることになる。

折良く、中央特別快速線の電車が通りかかった。
この路線は、以前から日常的に利用しているのだけど、まさか御茶ノ水駅を出てすぐのところに、こんな駅があったとは知らなかった。今度、通るときは注意してみていようと思う。
以上で、見学は終了。
時間にすれば、わずか15分少々のツアーだったのだけど、なんとも内容の濃い、非常に充実したモノだった。ツアーは4月末までやっているそうなので、なんとか都合をつけて、田中さんも連れてきたいと思う。
で、おまけ。

とりあえず、昼飯を食べよう、と行った「神田まつや」。

天もり蕎麦、大盛り。エビ天が絶品。柚子風味のつけ汁もいい感じ。

食後のデザート(?)ということで立ち寄った、「万惣」のフルーツ・ホットケーキ。カリッとした外側の部分と、しっとり、ふんわりした中身とのコンビネーションが絶妙。カロリー?考えてはいけないのだ(笑)。
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