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お祭りで気が付いた。

 昨日は、うちの会社で主宰する小説塾のスクーリングだった。
 赤城さんの恩師であり、私の師匠でもあるベテラン編集者の方に講義をお願いした。昭和三〇年代から第一線で活躍されていた方のお話からは、私たちも学ぶところが多かった。

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 また昨日は、中野の街では秋祭りが行われていた。
 スクーリングが終わって、講師を囲んでの夕食会に移動する途中、タイミング良く御神輿を見ることが出来た。
 あいにくの雨のなか、担ぎ手の皆さんは元気よい掛け声を発していた。
 お祭り大好きの私も、わくわくしながら見ていたところ、ふと、気が付いたことが。

 東京の御神輿の掛け声は、いつから「セイヤ、ソイヤ」になったんだ?
 私の子どもの頃は、例外なく「わっしょい、わっしょい」だったと思う。
 その場にいた赤城さん(東京生まれ)に聞いたのだが、「少なくとも20年前までは、わっしょいわっしょいだったよ」とのこと。
 赤城さんの立てた仮説によれば、映画『無法松の一生』で、「セイヤ、ソイヤ」の御神輿を見たことがあるので、きっと、これを見た人たちが、「オイラたちも板東妻三郎の真似をしよう」と、全国で「セイヤ、ソイヤ」になったのでは、という。
 ものすごく説得力があるような気がしたんだけど、この映画は1943年だもんなあ。ちょっと年代が合わないかも。

 それよりは、講師を務めて下さったYさんが立てた、「きっと美空ひばりさんが亡くなったんで、ワッショイ、ワッショイという掛け声が縁遠くなったんだよ」という仮説のほうが納得できるかも(笑)。

 どなたか詳しい方、お教えいただければ幸いです。

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コメント

http://wakagi.hp.infoseek.co.jp/mikositomaturi.htm
 こちらに「わっしょい」の由来がありました。
 他にも説があると思いますが、ちょっと目から鱗でした。

投稿: 生徒1 | 2006年9月21日 23時49分

ソーイヤー何時からソイヤ

どうも、こんばんは、SANSIです。
この話、やはり知っているのは、下町育ち、という訳で出てきました。でも私も解らなかったのですが、さすが、妻は、生粋の江戸っ子、知っていました。その内容をレポートします。
ソイヤファーストインパクト
1980年代初頭、路上パフォーマンス集団一世風靡セピアが、江戸にソイヤを持ち込んだ。これは、メンバーの室井・・あ違った。柳葉敏郎氏の故郷秋田の祭りの掛け声であった。
ソイヤセカンドインパクト
一世風靡セピアの「前略、道上より」は、グループの男気も手伝い、神輿を担ぐものたちの男気に反応した。1980年代後半、一世風靡セピアが解散するころ、劇団「まほろば」が、立石の地で、祭りの際に太鼓の会と合同で、「前略、道上より」のパフォーマンスを行う。「まほろば」には、もと一世風靡のメンバーもいて本格的で、以後数年間祭りの目玉となっていた。
最初の年に、神輿の会の若手の人たちが、会の親方に、あの「ソイヤ」の掛け声を神輿の担ぐときに使うのはどうかと、提案があった。
親方は、パフォーマンスの男気も気に入り、OKをだした。江戸の祭りで「ソイヤ」がはじめて使われた。
ソイヤサードインパクト
この神輿の会は、「睦」といって、墨田の祭りや三社祭、鳥越祭りなどで担いでいた。
OKが出た年の三社祭でも「ソイヤ」とやった。(実は、わっしょい、わっしょいより、ソイヤ、ソイヤのほうが、神輿の掛け声としては、テンポがよく、間が空かず、神輿全体で、リズムが採りやすかったのである。)
これを聞いた。他の神輿も「ソイヤ」とやり始め、三社祭全体が「ソイヤ」に変わった。
三社祭は、東京中の神輿の会が集まってくる。その人たちが、「ソイヤ」に替わり、地元に持ち帰って、東京中で「ソイヤ」になった。
これが、東京の祭りが「ソイヤ」になった訳といわれています。
多分、当の一世風靡セピアのメンバーは、知らないと思います。

投稿: sansi | 2006年9月24日 02時36分

神輿担ぎの掛け声には色々とあるので、ソイヤ!とかセイヤ!に定義付けるのは余りにも無理があります。浅草の三社祭や鳥越祭などで長年も担いでいる地元氏子の担ぎ手達はソイヤ!・セイヤ!で担ぐ者は殆どいないでしょう!。本来の掛け声はオイサ!・オイヤ!・オリャ!・オイリャ!などが基本で代々から伝承されて来た掛け声とされているようです。では何故?、最近の担ぎ手達がソイヤ!・セイヤ!などの掛け声で担ぐ理由については私には不明で解りませんが、多分として、様々な担ぎ手が神輿を担ぎ練り歩く時に各々の自己流的な言葉を掛け声として発声し、その各々の掛け声が混ざり合うことにより、ソイヤ!とかセイヤ!の掛け声に聴こえてしまうのでしょう!。では何故!?自己流的であるのかは、自説として、自分の存在を神輿の御神体である氏神様に対して示し申し上げ奉る為に自己流的な掛け声を発声するでしょう!。即ち!、掛け声とは、氏神様に自分の存在を問い掛ける為の発声が掛け声であり、その掛け声が氏神様への讚美する為の言葉となるでしょう!。因みとして、ソイヤ!・セイヤ!はオイヤ!が基礎であり、オイヤ!の語源は禮事イヤゴトのイヤと弥栄イヤサカのイヤがオイヤ!の由来とされているでしょう!。また、本来のワッショイ!の掛け声についてはワッショイ!では無くワッ!とショイ!の掛け合いの言葉で、つまり、ワッ!と問い掛けてショイ!と受け応えるのが素も素ものワッショイ!のようです。それよりも、実際に祭礼に参加して神輿を担げば掛け声が決してソイヤ!・セイヤ!・ワッショイ!だけでは無いことを理解出来るでしょう!。

投稿: 神輿オヤジ | 2009年12月24日 04時30分

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