日常に潜む謎(その2)
昨日に引き続いて、日常の疑問。
遺跡ってあるじゃないですか。土の下から家の跡とかが出てくる奴。
あれを見て、どうして家が埋まっているんだろう、って思ったことありませんか。
小学校で、登戸(という場所があるんです)へ弥生時代の遺跡を見に行った頃から、ずっと釈然としない疑問なんです。
もちろん、先生からは「火山灰がね…」とか、「洪水でね…」とか、理由は聞きました。
数年前、新しく私の会社に入った小前くん(なんと東大院卒)にも聞いて、「土に埋まっていたからこそ、遺跡として残っているんですよ」とか、判るような判らないような答えも貰いました。
でも、なんとなく納得できないんですよねえ。
私の住んでいる家、いままで埋まったことないし。もし、埋まったとしても、きっと掘り出すだろうし。
うーん、謎です。
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コメント
はじめまして。
大学で学んだ知識(残念ながら専攻は考古学ではありませんが)で、少し長くなりますがコメントさせていただきます。
そもそも我々が一般的に「遺跡」と呼び習わしているものは、大きく「遺物」「遺構」の二つに分けられます。
大雑把に説明すれば、「遺物」は発掘場所からテイク・アウトできるもので、銅鏡や須恵器の破片や動物の骨等がこれに含まれます。
一方、「遺構」は地面に残された人間の活動の痕跡で、動かすことができないもの。古墳、貝塚、そして柱穴の跡などが該当するでしょう。
「遺物」「遺構」の二つを包括したものが「遺跡」であり、三つはまとめて「埋蔵文化財」と呼ばれることもあります。
まさに「埋まっている」文化財なのです。
その意味で、会社のスタッフさんの「土に埋まっていたからこそ、遺跡として残っているんですよ」という言葉は、二つの点で真理を突いています。
一つは温暖・湿潤な気候風土では、特に有機物は大抵、短期間で腐敗・分解が進み残りませんが、まれに土中にあって空気に触れないことにより、偶然に分解されずに残るということ。
二点目は、「土に埋まる」というのは基本的に使用者が使用を停止した、つまり捨ててしまったり、もしくは目的(墓の副葬品にする等)があってわざと埋めたといういうことです。
裏を返せば、使用者が使用を停止しないで使い続けた結果、焼失・破壊などが行われて残らないのは十分ありえる、というよりむしろそちらの方が一般的でしょう。
例えば難波宮、藤原京、平城京、平安京などでは、遷都する際に前の都で使用していた柱や瓦は少なくない数を放置せずに新都へ運んで再利用していたことが、文献資料、また発掘報告で明らかとなっています。
ただし、柱の場合は礎石が残されたり、あるいは抜いて別の場所に運んだ後、土を埋め戻さなかった結果、そこに周囲とは違う土が堆積して、元々そこに柱があったことが分かることが往々にしてあります。
なぜ家が埋まって遺跡となるのか、とは当然の疑問でしょうが、そもそも我々が遺跡公園等(例えば佐賀県の吉野ヶ里遺跡)で目にする竪穴式住居や物見やぐらというのは、あくまでも想像復元物であって、建物自体が丸ごと出土したわけではない、ということです。
そのような復元は大抵、発掘の結果見つかった柱穴の跡から建物の規模を推定して行われます。
つまり実際には我々が今、目にしているのとはまったく違う形の建物が、過去には建っていたという可能性もあるわけです。
「復元」に関しては、考古学者や博物館の学芸員の間でも様々に意見が分かれていて、あえて建物を派手(?)に復元せず、「遺構」だけを強調して見せるという手法が取られた遺跡公園も実際に存在します。
これを不親切ととるか、想像力を鍛える機会ととるかも人それぞれでしょう。
長々と綴ってしまいましたが、お暇があれば近くの博物館や遺跡公園等に足を運んでみて、実際に見聞するのが一番かと思います。
投稿: 大阪在住の大学四回生 | 2007年7月 3日 10時46分
>大阪在住の大学四回生さま
丁寧で、判りやすい説明をありがとうございました!
おかげで、目から鱗が落ちた気がします。なるほど〜。
単に「埋まった」以外に、「埋めた」という視点があるとは思いませんでした。そうかあ。
単に柱の跡があいているだけの遺跡(あ、正しくは遺構ですね)であっても、見る人が見れば、そのうえにどんな建物が建っていたかが、(ある程度にせよ)推定できるなんて、本当に素晴らしいことですね。
これからも、歴史の謎がどんどん解明されていくことに期待しています。
本当にありがとうございました。
投稿: 安達裕章 | 2007年7月 4日 14時46分