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私たちは、1月17日を忘れません。

 今年も、この日がきました。

 1995年1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部を震源とした大地震が発生し、淡路島はもとより、神戸を中心とした都市圏に大きな被害を与えました。

 当時、私は製粉プラントのエンジニアをしていたのですが、毎朝6時には自宅を出る生活をしていたため、震災のニュースを知ったのは出社後。社員食堂のテレビを食い入るように見ていた記憶があります。
 発生から1週間後、はやくも取引先の製粉工場から復旧工事の発注があり、現場調査の第一陣として神戸入りしたのですが、想像を絶する被害に目を疑う思いでした。その後、半年ちかく東京と神戸を往復する生活を送り、製粉工場の復旧が完了したのは、そろそろ秋風が立つ頃だったと記憶しています。
 ただ、そのときでも市街地の復旧はまだまだ緒に就いたばかりで、復興の槌音が聞こえる、というよりは、ようやく廃墟を片付け終えたという感じでした。
 実際、その後、しばしば神戸を訪れる機会がありましたが、ずいぶん長い間、屋根に張られたブルーシートを見た気がします。

 大災害の前には、人間はまったく無力とも言えますが、そのための備えをすることは出来ましょう。いざというときに困らないよう、物心ともに準備をしておくことは重要だと思います。
 また、一人一人の人間は無力でも、力を合わせれば大きな力になることも確かです。
 神戸の震災では、大勢の方々が義援金を送り、被災者の皆さんを励まされました。私も神戸の街で実際に目にしておりますが、ボランティアの方々の活動には、本当に頭が下がる思いでした。
 こういうことを忘れずに、何かあったときに自分たちが何を出来るか考えておく、というのは、人として大事なことだと思います。

 阪神淡路大震災から、今日で13年目。
 その後も、日本各地で大きな地震が繰り返し起こっています。先日も新潟で大きな地震が発生しました。
 明日は我が身と思い準備を怠らないこと、そして、いまなお不自由な生活を送っている新潟をはじめとする被災者の方に、手を差しのべること。
 これこそが、阪神淡路大震災で亡くなった6434名の方々へ、私たちが出来る一番の追悼ではないか、と考えるのです。

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