ようやく見つけました。
太平洋戦争の会戦のひとつに「エンガノ岬沖会戦」というのがあります。
1944年10月末に行われた、レイテ沖海戦を構成する4つの会戦の1つで、小沢中将率いる第四航空艦隊と、ハルゼー大将率いる第38任務部隊がルソン島北東海上で行った一連の海戦を言います。
小沢艦隊には、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援するため、ハルゼー艦隊を引きつける囮の役目を果たすよう命令が下っておりました。果たして、レイテ島沖にいたハルゼー艦隊は、「ようやく見つけた空母機動部隊」である小沢艦隊を攻撃すべく、サン・ベルナルディノ海峡を抜けてルソン島東側海上に進出、全速力で北上を始めます。これを知った小沢艦隊は、囮の任務を果たすべくさらに北上しました。
結果として、ハルゼー提督の「深追い」を諫める通信がハワイ太平洋艦隊司令部から届き、ハルゼー提督は艦隊を分離、麾下のミッチャー中将に分艦隊を預けて追撃を続行させ、自らはレイテ島沖に帰還します。
本来であれば、レイテ島沖が空白になったタイミングで、日本軍の艦隊が突入する予定だったのですが、残念ながらこの情報が生かせず、日本軍は大きな星を落としてしまうことになります。
さて。
問題は、この「エンガノ岬」です。
実は、横山信義さんの新作『擾乱の海』第5巻にも、この「エンガノ岬」という地名が出てきます。
巻頭に載る地図は私が描いておりますので、「さて、エンガノ岬とはどこだろう」と資料を探しました。でも、どこにも具体的な場所は載っていません。
変な話で「エンガノ岬」と検索しても、「エンガノ岬沖会戦」が出てくるだけで、肝心の「エンガノ岬」がどこにあるのか、まったく判らないのです。
資料によっては、ルソン島北東端の岬、と書いてありますが、これはエスカルバダ岬という名前が別にあります。
私も半分意地になって探したところ、ついに見つけました。
さきほど紹介したエスカルバダ岬のすぐ北側に、パラウィ島という小島があります。
この小島の北西岸に、ちょこっと突き出た岬がありまして、これが「エンガノ岬」でした。
なんで、こんな小島の、しかも小さな岬が、大会戦の名前になったのかは判りませんが、ここには比較的大きな灯台が置かれていますので、おそらく当時の関係者の誰かが海図に描かれた灯台の名前を見て、この会戦名をつけたのではないのかなあ、と考えた次第。
こうしてみると、会戦の名前ひとつとっても、いろいろと面白いことに気がつきますね。
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